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今日は何の日

2012年08月17日 今日は何の日

1948年のこの日、横浜ゲーリッグ球場で日本初のナイター・巨人対中部(現在の中日)戦が行われたそうです。その際「ナイター」という言葉もこの時初めて使われました。
横浜ゲーリック球場とは1929年、関東大震災復興記念事業の一環として建設されたそうです。建設当初の名称は「横浜公園球場」だったそうです。この地にはもともと、在日外国人のクリケットグラウンドとして1874年に完成した「彼我公園(ひがこうえん)」があり、1896年には地元外国人チームと旧制第一高校との国際野球試合が開催されたそうです。この旧制第一高校がのちの野球に野球道を存在させた大きな一因と成ります。

後の1952年に連合軍の接収解除に伴い横浜市に返還され、1955年に「横浜公園平和野球場」と改称されたそうです。しかし、市民の間には正式名称よりも略称である「平和球場」という呼び方のほうが定着したとされています。返還された平和球場はプロ野球の試合こそほとんど行われなかったものの、高校野球神奈川大会や社会人野球などアマチュア野球では多く使用され、さらにボクシングの興行にも使用されたこともあるそうです。しかし築40年を超えて建物の老朽化は深刻になり、1970年には躯体のコンクリートが劣化して観客の重量を支えきれなくなったという理由から、スタンドの上半分が閉鎖された。これによってもともと15,000人程度であった観客収容数が半減してアマチュア野球の大会にも使用できなくなり、野球好きの市民の間に建て替えとプロ球団誘致を求める署名活動などが行われるようになったそうです。その結果川崎球場に限界を感じていた大洋球団が横浜移転を切望し、平和球場を解体し新球場を建設して移転することと成ったそうです。これにより新球場となる横浜スタジアムの建設が正式に決定、1977年4月、横浜スタジアムの着工に伴い解体されその歴史を閉じたそうです。
 

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